あよあのたす

書き散らし

2014年06月の日記

再発を祝す
 マニフェスト。

 我執や自己不全感、不安や憂鬱をただ払い除けるのではなく、痛感することでしか、empathyなど不可能に決まってる。
 そして、最終的にこの現身の自我を再生・再起させ、地上の歩みを促すようなものでない限り、如何なる忘我体験や神秘的直観も無意味に違いない。

 どんなに痛くても死なへんことは力の証なんや。
2014年06月28日(土)   No.49 (雑記)

小路啓之 『犯罪王ポポネポ』 最終巻感想
 犯罪王ポポネポすばらしかった。
 「マルキ」という、つまらない一小市民が背負わされた、「ポポネポ」という、くだらないアンチヒーローの役割。
 正義の役をやりたがる人々にとって、それを見とどける人々にとって、悪役はぶっ潰される役割を全うすることで、常々救いを与えてくれるものだった。
 しかし、なぜそっち役の子ばかり、そんな風にワリを食うことになるのか。

 この、誰からも必要とされない小市民は、ふとしたきっかけで反社会的ヒーローにのぼりつめるも、凶悪な人々に突き落とされて、やがて善良な市民どもから怒声を浴びせられる。
 こんなボクにだって、やれるじゃないか。引き金ひとつでマルキは豹変してゆく。しかしそれでも何ひとつ、憧れのヒーローに、彼岸の何かになりきることは叶わない。死ぬことすら。
 「こんな自分」、「何もない自分」に苦しむのは、かげふみ1号めぐみのメグと同じだが、マルキは、秘めていた変身願望の現実化によって、そんな「自分」すら失くしてしまう。
 憧れの的も、荷物持ちも、どっちだってくだらない。どんな形であれ、役割はもう沢山だ。誰か、僕に「自分」を与えてくれ。

 正義の軍団「ヨドハン」こと被害者・遺族友の会「淀川中華飯店」のマチキタかなごは、仇討ちに燃えた、ヴァイタリティ溢れる乙女である。
 彼女は、誰もが注意を向ける「犯罪王」…即ちアンチヒーローにして恨みの矛先たるポポネポの中に、生ける「誰か」の姿を発見する。
 頬の絆創膏、指ぬきのグローブにポニーテール、どんなアイドルよりも露骨に「乙女」を剥き出しにした出で立ちで駆け回り、それに相応しい力強い眼差しを持った少女・かなごは、マルキを苦しませ嫌悪感を増幅させる呪いの仮面を剥ぎとった上で、この小市民を、しかし「その生き様ごと」肯定してしまう。

 そして、マルキはポポネポの役割をやり尽くすのだ。
 マルキはポポネポではない。
 それでも、マルキは最後までポポネポであった。
 そこには、ポポネポの影にキレイに重なったままで、唯一無二のマルキが確かなものとして脈打っていた。マルキはそれを痛感させられた。

 「夢もない 金もない やりたいこともない!
  そんな中でも生きてきたんです! なぜかわかりますか?
  自分で死ねるほどの勇者じゃないからじゃないですか!!」

 「ボクはパーマをあてる度胸もない小市民です!
  ボクは… ボクの名前は…」

 自分を失うことすら許さない、実直な乙女の眼差しを持ったヒロインが、アンチヒーローの中の生身の凡人に恋をして、その手で救ってしまう。惨酷にも。
 かなごだけが、マルキを「知らぬままにして」その存在を「知り」、そしてその壊れた生をすら満足させてしまう。
 この乙女こそが、その恋する情熱の眼差しで以てアンチヒーローに止めを刺すことのできる唯一の、正義のヒロインであった。

 「はっはははっ こりゃ全米が泣いたな!」

 皮肉な台詞。
 滑稽といえば、この上なく滑稽である。
 カッコ良さそうでカッコ悪い人々の、クソッタレと叫べそうで全く叫べないクソッタレな死に姿が飛び交う小路啓之ワールドには、どうしたわけか、変化球と見間違えそうな直球ストレートのラヴソングが鳴り止まず、不格好で間抜けなロマンスの鐘が大真面目に響き渡っている。

 「言ってください ワタシ マルキくんのためならなんでもします」

 諦めていた世界を波に乗って奪い返そうとした弱虫なアンチヒーローと、義憤に燃える向こう見ずな乙女のヒロインが、最高のカップリングを織り成す。
 恋が恋のまま虚しくもカタルシスを迎える。そんな有り様はダサければダサいほど、狂おしく切ない。果てない退却の果てに、荒んだ冒険心を引き出され、一瞬の瞬きの中に安楽を得る。このふたりには他の出会いはきっと有り得なかったから、せめてもう少し早く、自己と世界をこんな風に感じる機会があったならば。
 その鼻を掠めた"ティモテの香り"だけが、退屈と無関心の世界に退却することなしに、変身願望と自己喪失の苦痛を忘れさせるほどの「本気の変身」を与えてくれる。ヒロインの言葉だけで、彼は初めて堂々たるヒーローになる。少年の姿をした小市民マルキは、そのままのマルキとして、犯罪王ポポネポを果たす。静寂の人生の中に見た、たった一瞬の高鳴りと愉悦ゆえに。



(執筆日:2014/6/17、掲載日:2016/6/18)
2014年06月17日(火)   No.89 (雑記)

ファンですねん
 最近『イハーブの生活』の新装版が出たので、買って読んだ。1冊千円、今月は『スケッチブック』の限定版も買ったので、3冊で3000円マッグガーデンコミックスさんに支払ってるわけですわ。高額ながら満足。


 あらためて読むと小路漫画の中でも練るに練られた内容。どうやったらこんな複雑な話を脳内に構成出来るのやら。
 マトモじゃない境遇から、苦難の運命を逃れられなかった無念の大人たち。同じくマトモじゃない境遇の中で、平凡な少年でいることを許されなかったイハーブも、彼ら大人の世界に足を踏み入れていく。しかし、「人を殺せる」ようになれるのか、彼らに関わってしまったことが招いた結果を前に自分が何を果たせるのか……どんなに捻れて、どんなに冷めていても到底子供には抱えきれないような数々の苦難に直面してしまうのだ。いつも無茶をやるかやらないかのギリギリ。
 人を殺せることは時には必要なのだろう。しかし同時に、そこには取り返しの付かない何かを受け容れるリスクがある。
 暴露されるイハーブの迷い子としての脆さ・危うさをガシガシ引き受けていくマリーの逞しさが並外れてる。こんな「親」、「大人」が有り得んのかってほど。最初の方はどうもただの鈍い親に見えたんだがね。彼女の言葉は、ある意味では現実に対して皮肉なほどの理想主義として響き渡るかもしれない。それでもタマラン。

 死んだ「家庭生活」。逸脱した大人たちの真っ只中で日々苛立ちながらも「甘いもの」なしには壊れてしまいそうな少女キリコの痛ましさ、単純バカをやり尽くすガンズの生き様、浜松とムッシュの間、警察組織と犯罪組織の中に浮き上がるただならぬ闇の事情、見所と重要事項が多すぎて記述不能。しかしどいつも大好きだ。
 作者の世界に対する動体視力が超人クラスなのだなあ。
 しかしコンデンスミルクそのままチュパるのが好きって、小路啓之先生そのものやないか。各作品の「キリコ」達は実は作者の部分的投影なのだろか。いやいやそんなまさか。


 今度は犯罪王ポポネポを読み直すか。
2014年06月15日(日)   No.48 (雑記)

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小路啓之 『犯罪王ポポネポ』 最終巻感想
2014年06月15日(日)
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