あよあのたす

書き散らし

2016年10月の日記

無題
自分「小路先生、そう、漫画家さんのことを“先生”と呼びますが、まさに僕は小路啓之先生を心の中で“師”として見てきたんです。中国語で言う老師みたいな、そういうイメージ。この10年近く僕にとってとても大きな存在として目の前にあって、その背中を追いかけて生きて来たんですが、それが突然消えてしまった。」
2016年10月25日(火)   No.126 (面接室にて)

エゴイスムスの日

誕生日おめでとう、マックス・シュティルナー。

これは偶然なのだけれど、一年前の10/25も、シュティルナー関連の日記というかメモを書いていた。
http://doodlian.s602.xrea.com/cgi-bin/sfs4_diary/sfs4_diary.cgi?action=article&year=2015&month=10&day=25&mynum=78

俺はシュティルナーについて――主著『唯一者とその所有』の読解に留まらず、数々の論稿、果てはヨハン・カスパー・シュミットとしての生涯とパーソナリティに至るまでの凡てに――もっと理解を深めて行きたいと思う。
2016年10月25日(火)   No.125 (雑記)

さよなら小路啓之先生――或いは不死身じゃなかった天才について

 2016/10/20、小路啓之先生の急逝。今日知った。


 未だに信じられない。心から敬愛する漫画家の先生。
 嫌だ。まだ消えて欲しくない。作品を描き続けて欲しい。蘇生して欲しい。

 天才すぎて不死身なんじゃないかと思っていた。

 出会いは古本屋で『かげふみさん』の1巻を手にした時だったけれど、それ以降は毎月幻冬舎のGENZO誌を読んで、単行本を全て新品で買っていた。数々のサイン色紙やサイン本を大切に持っている。

 作品世界同様、際どいというか、たまにタブーっぽいこともバンバン発言してしまう方で、人前でのパフォーマンスが苦手そうなのに、人に掴まれることを躱すように、ちょっと風変わりな言動をされる方で、そういったお人柄がまた面白いと思っていた。ツイッターを初められた時の最初のツイートも「ごきぶり食べた」で、「ああ、こういう人なんだなあ」と微笑ましく思った。
 奇抜で神経質なキャラクター、描きこまれた町並み、人間心理の観察、随所に張り巡らされた小ネタ、複雑で怒涛の展開を見せる物語。一度飲み込まれたら最後の、不思議な世界を描く人だった。

 自分の青年期は、小路啓之作品と共にあったと思う。これから先も、ずっと、小路啓之先生の漫画と共に歩んでいくのだと、そう完全に信じ込んでいた。
 この間、短編集と『来世であいましょう』を読み返したばかりだった。今日は『かげふみさん』を読み返した。

 めぐみのメグが好きだった。『犯罪王ポポネポ』のサイン会で、既に所持していた『かげふみさん』1巻をもう一冊買って、勇気を出してこっちにもサインをお願いした。メグを描いて下さった。

 いつも、イベントで話しかける度に、ガチガチにアガってしまっていた。緊張で手に汗握りながら、勇気を振り絞って「『かげふみさん』は、最初の、服を着たままセックスする男が出て来て始まるのが好きで…!」などと言ったら、笑ってくださった。
 『メタラブ』『束縛愛』のイベントでは、月刊モーニング・ツーを買うとそこにサインが貰えたのだが、その際に、「何か書いて欲しい言葉とかある?」となって、「え、あー、えっと……」とパニクっていたら、先生は突然閃いたように「あ、じゃあ、オムライス!!」と謎のメッセージを添えて下さった。

 だから今日の昼食はオムライスにした。思えば『来世であいましょう』のポワチン大魔王が、その味を知りたくてしょうがなかった食べ物だ。先生もお好きだったのだろうか。

 コミカルなのに、人がよく死ぬ漫画を描く人だった。だけど御本人の生涯まで大型自転車の転倒事故なんて、そんな漫画のワンシーンみたいな終わり方して欲しくなかった。
 いつもふらふらと小旅行に出ていたらしい。いつものようにドデカイ自転車で、いつものようにお住いとは遠く離れた奈良県で。報道されているのが、あまりにリアルな小路先生の日常の一場面で、事実を否認することが出来ない。


 ああ、自分の作品のジャケット用に、イラストを描いてもらうのが夢だった。本当に早過ぎた。死んでは行けない人が死んでしまった。悔しい。

 まだ世界の何処かで生きてらっしゃるような、そんな気がしてしまうのだ。僕の脳内の小王国では、いつも王座の上で踊ってらっしゃったのだから。
2016年10月22日(土)   No.124 (ポエトリー)

無題
観た映画

『ナイン・ソウルズ』
『劇場版そらのおとしもの 時計じかけの哀女神』

酒を飲みながら観た。
あと、なりあ☆がーるずのラジさまも聴いた。
2016年10月21日(金)   No.123 (雑記)

「それなりの野望」を持って生きる――奥山村人さんの受賞を祝して
 ● 第23回電撃大賞受賞者発表!


 遂に、奥山村人さんが「佐野徹夜」名義で書いた『君は月夜に光り輝く』という小説が電撃大賞を受賞した。天下のメディアワークスだ。賞金300万円だ。兎にも角にも特大サイズの賞なのだ。
 奥山さんは10代の頃から、はてなダイアリーで私生活上のエキセントリックな出来事と御自身の懊悩を文章化なさっていて、インターネットの一部で大ウケだった。それがあまりにも面白く、良くも悪くも自分も彼から色々と影響を受けた。
 直感的な次元の話だが、文体が好きだった。言葉に胸の内を詰め込む時のアティテュードの表れとでも言い換えられるだろうか。人の心を動かす力があったし、綴られる生き様も尋常ではなかった。

 しかし近年、「無職アラサー男性の人生相談」というwebの連載で、読者から容赦ない罵倒を喰らっている姿は、「切ない」を通り越して「痛ましい」ものであるように思えた。
 「普通」を自認する生活者達に、真剣な文章を「くだらない悩み」と蹴散らされる様子、人一倍強固な意志が垣間見えるのに虚無的で出口のない結論ばかりが反復される本文……俺も虚無地獄に疲れていたし、途中で見ていられなくなって読むのをやめた。
 けれど今となっては、この天と地の差が、大いなる飛翔が、あの説教臭く正論じみた外野の罵倒、そして連載の「失敗」さえも、この輝かしい「スタートライン」のための長い前奏だったのだと、思わせてくれる。


 奥山さんとは数回コンタクトを取ったことがある。というのも、高校時代、教室で一緒に奥山さんのはてなダイアリーを読んでいた同じ軽音楽部の同級生が、文章から奥山さんの学校を特定していて、距離感の近さから一度お会いしたいと思ったのだ。非コミュの俺が、である。同じ京都在住であることは元々知っていたが、最終的に会いに行ったのは興味本位だった。
 文学部を休学中の自分が「曲を作っている」と言ったら、「映画用の音楽」を作ってくれと依頼された。力量・経験的にキツイとは思ったが、取り敢えず、レコーダーで録った弾き語りのデモを聴いてもらった。“What keeps me surviving”という曲がいい、これを使いたいと言われた。syrup16gを数万倍ヘボヘボにした感じの曲だ。

 急遽、早朝から出身高校の部室を借り、生まれて初めてレコーディング機材なるものをマニュアルを見つつ操作して、リズム隊の後輩二人と一発録りで一日で録音した。BGM用にヴォーカルをカットしたヴァージョンも欲しいと言われていたので、合計3ヴァージョン送った。

 そして、いざ映画を観せてもらった時、「音がダッセェ!!!!」と皆々様に申し訳なく思った。当時の自分はベースや歌に比べるとギターが素人以下だったので、BGMでチャンチャラ間抜けなアコギが流れるのがヘボくてヘボくて片腹痛い思いがした。インストにしても、せめてもっと色気のあるアルペジオとか入れていれば……とか。
 (でも、ノイズがギャーっとなるところと、電線のシーンの相性は悪くなかったかな。)


 それから数年後、心を入れ替えた(?)自分は、この曲を完全リメイクして“トカゲとブランコ”という全く方向性の異なる享楽的なガレージ・サイケ・ナンバーを作ったのであるが。閑話休題。

 


 奥山さんとはしばらく縁を切っていた。そもそも東京に行かれたので会う機会などなくなっていくのだが、精神的にズタボロのまま大学に復学した自分は、孤独に己自身と向き合いたかったのか、「誰からも影響を受けるまい」と言わんばかりにネットですら関わろうとすることなく勉学と宅録に熱中していた。


 そんなこんなで、それからまた数年後の今現在である。

 「え、あの奥山さんが大賞?本当に?」という感じではない。逆だ。大賞を取るべき人が取ったのだ。必然とまで言えるかは解らないが、「やっとか」という思いで、ほっとする。
 本当におめでたいという他ない。祝福したい。全身全霊で「ダメ」の29年をやり尽くした果てに、漸く種が実ったのだ。常識人ぶった輩に潰されていい才能ではなかった。
 それに京都は空無だと思っていた。面白い奴はいるが、いるだけで、あそこからはもう何も生まれて来ないと思っていた。それがこの一大ニュースである。面白い話もあるもんだ。


 自分は今、治療者の支えもあって、ニューアルバム制作を開始し、レヴューを執筆したり、思想史への興味から語学をやったりしている。「人並みのやり方で生きる」とか、そういうのは無理だと割り切った(今更?そう今更だ)。
 己を尽くすしかないのである。それが「街に出ればたまにいる変な奴」という形であっても。“What keeps me surviving”や“トカゲとブランコ”なんかよりもっともっといい曲を発表してやる。今に見てろ。


 ところで、問題の“What keeps me surviving”、音こそダサいが、歌詞は意外と今読んでも面白かったりする。折角だし引用しておこう。


それなりの野望を持つことが出来る
こいつがもし「普通のこと」だったなら
とっくの昔にもう諦めてるだろう
少しおかしくなれたら 生き長らえるさ きっと・・・

ほら 失くしていくのは
知らないうちだ
思い出したときには
大体無いんだ
体に馴染んじまって
実感無いんだ
流されていくなんて
とんでもないぜ


 「少しおかしくなれたら 生き長らえる」。きっとそういうものなのだろう。
 生きるということを確かめよう。「佐野徹夜」作の『君は月夜に光り輝く』や、その次の、そのまた次の作品が読める日を楽しみにしながら。
2016年10月09日(日)   No.122 (雑記)

Shake, Shake, Shake The Dope Out !!


パリの人々。最高に楽しそうで、羨ましくてしょうがない。
2016年10月08日(土)   No.120 (雑記)

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さよなら小路啓之先生――或いは不死身じゃなかった天才について
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「それなりの野望」を持って生きる――奥山村人さんの受賞を祝して
2016年10月08日(土)
Shake, Shake, Shake The Dope Out !!

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