あよあのたす

書き散らし

2018年07月の日記

我中心
 「エゴセントリックな」という形容詞は、「地球が己を中心に回っているかの如く」というフレーズが物語る通り、あたかも己の他の何者にも中心たることを認めず、ただ一人「我のみが」中心であり得ると言わんばかりの構えを指して用いられる。それはおおかた対人的に実践された単なる横暴として顕われる。
 すると「エゴセントリックな」彼の言動が意図され算段された結果と言い難く、単に思慮浅く衝動的なものとしか看做せないならば、彼は自身の中心性について、独占的な──つまり己のそれのみを場に現実化させるべく他のそれについては存在を徹底的に否定するという点において実に“社会中心的”な──形で“公認”してもらう以外には知る術を持たない。ならば結局「エゴセントリシティ」は、此岸において争闘する一切衆生の中に置かれた我が身のうちには確信されず、強固なる単一神教の偶像の威光に眩んだ眼が見る幻影と成り果て、彼は信者獲得のために右往左往を強いられ、果ては彼自身の生命まるごとを差し出すのだ。
 その意味での「エゴセントリズム」は、「エゴマニア」たちの熱暴走にその身を焼くか、精々「エゴティスト」たちのロマンティックな言葉の魔力に惑溺するを良しとするばかりで、それが空蝉たる“我-ら”のエゴイズムにとっては己の賞味のために選択される無の一変形であることは言うまでもない。
2018年07月13日(金)   No.162 (雑記)

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2018年07月13日(金)
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