「Project-μ 全五作品 後追いプレイ記」

第三弾 『北麻鞍博士の憂鬱』(2000年、第1作)

2016/10/18


※注意喚起

  本稿は、筆者個人のゲームプレイ記録であり、対象作品の内容についての深い考察を試みる論稿ではない。よって、シナリオ全体像の解説や細部の分析に踏み込むことは基本的にはせず、ネタバレには一定の配慮をしているが、幾らか製作者の意図や特定の場面について記述や引用を行い、私見や解釈を付け加える場合がある。
 執筆意図としては、作品を紹介しようという気持ちが大いにあるものの、前情報少なくプレイしたいというゲーマーの方々は、序盤だけを読んでお終いにしていただくか、ブックマークにでも追加してプレイ後に目を通されることを推奨する。

 また取り扱う対象が18禁作品であるため、本稿も18歳未満には推奨されない。



1. 出遭い

 さて、何から書けばいいのやら……と言いたくなる奇作であるが、例によって出遭いの話からになる。『忘れな草』プレイ記で既に書いたが、筆者はこのゲームだけはかなり前から知っていた。
 確か、発売当初、パソコン雑誌で発売を宣伝されでいたのを見たのだと思う。特にプレイしたくて仕方がない!と思わせる何かは無かったが、このスチャラカな作風だけは脳内にかなり印象強く残っていた。しかも、おかしなことに自分の中での18禁PCゲームのステレオタイプの一例にさえなっていた。

 入手ルートは駿河屋。もうこの時点でProject-μ全制覇は心に決めていたので、入荷したら即購入に至った。中古価格は310円。「ワゴン」の価格帯である。発売当時あまり話題にならず、地方ではあまり見かけなかったということらしいが、かと言って未だプレミア扱いされる気配はない。当分は安売りされ続けるだろう。

非売品。ヤフオクで入手。

▲パッケージイラストそのままのポスター


2. プレイ環境

 当然と言えば当然だが、Windows10では動作せず。仮想OSによるWindowsXP上で動作。BGMだが、今作ではMIDIファイルを使用している。個人的にはWAVの方がいいのだが。BGMの一部は『銀の蛇 黒の月』の特典サウンドトラックに収録されている。


3. 「バカゲー」の典型

 どうプレイしたのかを書くのが難しい。初めから終わりまでナンセンスギャグ全開の「バカゲー」としか言いようがないからだ。作中の物事に意味なんてない。しかもそれこそが創り手の意図らしい。
 Project-μといえば、『忘れな草』に始まる「ノヴェルシアター」がウリだが、今作だけは例外的にAVGである。Getchu.comでは「コミカルAVG」、『応援所』の方では「おバカアドベンチャー」と呼ばれていたようだ。
 筆者個人の好みから言えば、痛快としか言いようがないノリである。だが、その面白味を語れと言われてみれば、「遊んでみて自分が笑えるかが全てだから」と答えざるを得ない。

 別に何も考えず作られたゲームというわけではない。『忘れな草』のプレイ記でも言及したが、『応援所』アーカイヴの「緊急企画!!!某髑髏氏に聞く!!!北麻鞍博士の憂鬱は何を伝えたかったのか」(※ページURLが“iiwake.html”と来たものだ。苦笑するしかない。)によれば、「老荘思想をベースとした哲学」が主題だと断言されている。しかし、今作を楽しむにあたって、この情報は大した意味を持たないだろう。プレイ済の方もそうでない方も、シナリオライターが何を考えていたのかについては、リンク先のiiwake.htmlのアーカイヴに目を通していただければ充分である。筆者からすれば、それを知ろうが知るまいが、今作は、会心の「バカゲー」以上の何物でもない。

古典的表現
▲「バカゲー的演出(立ち絵にタライを落とす)」 cProject-μ ※他への転載を禁ず。

 シナリオやスクリプトは「越智自由」名義となっているが、どうやらこれも御存知「髑髏伯爵」先生のオルター・エゴらしい。『忘れな草』の一つ前の作品がこのような茶番劇というのは、この処女作は「ブランドイメージ」が凝り固まってしまった人々には意外に感じられるかも知れない。
 リンク先のインタビューの通り、(※表層の)「オフザケ」が「バラエティ番組的な流れ」で繰り広げられるばかりであり、次作『忘れな草』の「ジトジトとしたメランコリー」とは完全に一線を画している。

 原画家は「間優月」氏で、同ブランドでの活動は今作が最初で最後である。最早現在Project-μの関係者は皆等しくそうであるが、今や何処でどのような活動をしているのかは不明である。
 よく言えばバランス感覚のある、悪く言えば個性の薄い、アニメ的な画風であるように思う。今作が同ブランドの他作品に比べて明朗な印象を与えるのにも、この絵柄が一役買っているのだろう。


4. 無駄に遊び心溢れるシステム

 今作のみノヴェルシアターではなくAVGとは書いたが、我等がProject-μを甘く見て貰っては困る。処女作とは言え、彼等が余所のメーカーと同じような「スタンダードなAVG」を作るはずがない。
 次の画像を御覧いただこう。ウィンドウが上下に表示されている。AVGでは下に台詞やモノローグが表示されるのが基本であるが、ではどうして、上にもウィンドウが表示されているのか。

ふほ〜 パロディネタ
▲「説明文書」の表示 cProject-μ ※他への転載を禁ず。

 一つは「説明文書」というもので、下部ウィンドウ内で赤字で表示されているキーワードをクリックすると、無駄に事細かで独断と偏見にまみれた用語解説を見ることが出来る。その多くは所謂「小ネタ」というやつで、キーワードによってはキャラクターや世界観についての裏設定に触れられる場合もある。
 これらを無視すると、恐らくゲームが一瞬で終わってしまう。BeFの『あきらめ』など、同種の(製作者の与太話とでも言うべき)脱線システムを搭載したゲームは今作に限ったものではないが、これを楽しめるかどうかは評価の分かれ目となるであろう。

全体的に品性下劣である 他人の心も読めてしまう
▲「内面心理」の表示 cProject-μ ※他への転載を禁ず。

 もう一つは「内面心理」で、その名の通り、画面上にハートマークが表示されている時にキャラクターの名前をクリックすると、主人公・北麻鞍博士(きたまくらひろし)に限らず、登場人物の頭の中の思考を覗くことが出来るというものである。
 これは言い換えれば、プレイヤーの視点が主人公の主観とイコールになり難く、或る意味では超越的なものになるということだ。それは兎も角として、これらも殆んど無駄話のようなもので、下部ウィンドウで繰り広げられる漫才同様、こういう製作者の遊びの要素を面白がることが出来なければ、このゲームを御賞味いただくことは極めて難しいはずだ。というか、「やってられない」と思われる。


5. 有って無いようなストーリー

 今作の見処は、主人公のマッドサイエンティスト・北麻鞍博士と作品の看板娘であるアンドロイド・メルクリウスの漫才であるように思う。
 粗筋は、パッケージ裏の通り、世界に蔓延する「劣性遺伝子」による人類滅亡を防ぐという北麻鞍博士の妄想様観念、或いは口実によって「優良遺伝子」の持ち主たる少女・木桐さりあを付け回さねばならないというもの。

 エンディングは勿論数種類用意されているが、よく解らない。解る人間の方が少ないのではないかと思う。
 脈絡無く挟まれる報道記者の切腹やパロディネタ、何の為に存在するのかよく解らないエコロジカルヒーローなど、基本がやりたい放題のギャグの連発、まさにTVのバラエティ番組的な場面転換を繰り返すゲームで、ストーリーなど有って無いようなものなので、エンディングに感動のようなものを求めるのは筋違いだろう。
 だが、思想・哲学がテーマだと豪語するくらいならば、一つくらいは、ハッと驚かされる結末が有ってもよいのではないかと思ってしまった。「結局これは何だったんだ」という感じが否めない。或いは笑いをがウリにしてるという観点から言えばオチが弱いと言うことも出来る。

 企画者にして脚本家でもある髑髏伯爵は元々某メーカーでRPGの仕事などを手掛けていた人で、Project-μの結成は彼の先輩にあたる人物によるものだったという。
 ブランド的にはデビュー作ということになるが、シナリオの経験は充分にあったようである。だが、中々思い通りには事が進まなかったようで、完成度の問題もその辺りに起因していそうだ。


6. Project-μは重苦しさ一辺倒メーカーではないと再確認せよ

 とは言え、こういう路線がツボなプレイヤーからすれば、中々にハマれる要素の多い作品であると思う。個人的に、唐突な「おすぎです。」からの爆発オチが酷すぎてたまげてしまった。細かいネタは是非プレイしてその目で御覧いただきたい。前述の通り、北麻鞍とメルクリウスの漫才のテンポや、人類の命運がどうこうという妄言を根拠に事に及ぼうとする馬鹿馬鹿しさ、突発的に起きる意味不明な出来事、一工夫有るゲームシステムなどに好感が持てた。また、上部ウィンドウでの註釈がお喋りになることで、本文が比較的軽くなっているのも好い。
 マニュアルの最初のページの「取り扱い上のご注意」では、「電子レンジ不可。」「ゲームCDのは食べられません。」「なんかください。」などと悪ふざけ全開で微笑ましい。言わせてもらえば、全体的に親父臭いギャグセンスだと思う。

 同ブランドの他作品と比較すると色んな点で「浮いて」しまう『北麻鞍博士の憂鬱』ではあるが、筆者はこれもProject-μだからこそのゲームだとさえ思う。どこかしらイビツで不器用で、それなのに「ゴーイング・マイ・ウェイ」とひたすらはっちゃけるやり方は、成程「ぷろみゅーイズム」の芽生えここに在りという感じだ。
 このスチャラカ路線で思想を表現しようとして思い通りに行かなかったからこそ、反動で試行錯誤していった結果、『忘れな草』が生まれたのだという考え方も納得が行く。
 『忘れな草』も『ほとせなる呪 ちとせなる詛、』も、それぞれ別の意味で暗いところがあったが、Project-μというのは別に、「闇」をウリにしたチームではないということが確認される。
 今作が特に際立っているというだけで、他の作品にあっても、彼等の持ち味としての遊び心は、随所(例えばマニュアルのラクガキなど)に表れていたのではないだろうか。そういう態度はもしかすれば、苛烈な「競争」の時代においてはマイナスに働いてしまったのかも知れないが。

 次に扱うのは、最終作(処女作の対義語だから閉経作だろうか?)『銀の蛇 黒の月』である。不器用で奔放ではみだしっ子なクリエイティヴ・チームの決死の想いが込められた「エロ・グロ・ヴァイオレンス」な「ピカレスク・ファンタジー」が如何なるものであったか、後世に伝えることが出来ればこれ幸いである。



文責:あよのた






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