あよあのたす

書き散らし

2017年09月の日記

気取り屋どもが作った、無意味に格式張った、醜い社交にまみれたこの世界。
 貴族社交界に入り浸ろうとしたがり家族やら恋人やらをアクセサリー代わりにして見せびらかしてばかりの気取り屋どもはそんな趣味で楽しいか?
 さぞ楽しかろう。その代わりアクセサリー君は常に貴様の虚栄心のためだけに己の外観を飾り、己の感情を捏造し、己の一挙一動に親しみのない時間を過ごすのだ。
2017年09月23日(土)   No.135 (雑記)

浅い睡眠
 ドタマが活性化すると睡眠にも影響が及ぶ。中枢神経刺激薬ほどではなかろうが、よく動ける割に、深く眠ることが出来ない。これでは休息にならず、体力回復にも繋がらない。シャキッと目覚めることにも繋がるが、一方これは不安要素でもあると言える。
 ところで、自分が眠っていたのか起きていたのか解らないことがある。果たして先程まで夢を見ていたのか、考え事をしていたのか、出眠時幻覚を体感していたのか、はたまた白昼夢に浸っていたのか、判別が難しい。
 いずれにせよ、カラダが休もうとせず疲労が溜まるのは勘弁していただきたい。
2017年09月14日(木)   No.134 (雑記)

無題
孤独を繋いでと言うが闇雲に繋ぎすぎている感は否めないものだ
2017年09月12日(火)   No.133 (雑記)

一人じゃんけん
 風呂場で一人じゃんけんをした。一種の精神鍛錬である。

 子供の頃から長風呂が苦手だ。よく噛んで食べることくらいには。
 じっとしているとそそっかしい気持ちになり、焦って早く上がろうとしてしまう。そこで音楽プレイヤーにしているスマートフォンを玄関の床に置いて、syrup16gの『Hell-see』(約1時間06分)の再生が終わるまで風呂桶の内部に自分自身を幽閉することにした。
 身体的にも結構ハードだ。のぼせないように、時折、水を飲んだりした。空気に晒さないと足指がふやけそうになる。

 ところで、ネットワークにより、引き籠もりが増えたのだろうか。全くそうではない。逆に決まってる。何らかの社会的物差しだと?そんなことはどうでもよい。己が目に映るは、引き籠もる力を育めなくなっていたり、せっかく培った力さえ奪われていくような哀れな人々の姿ばかりだ。
 うるさい通知が来る。プライヴェートな時空間においても、Twitterにメッセージがありました。Facebookにコメントがありました。Google+に+1が付きました。云々。
 労働社会に忙殺されている人々には業務なり何なりの着信やメールが来る。漫画家などは作業中にSkypeで雑談したりするという。或いは、公私を問わずLINEを通じた連絡が来る人もいる。グループとかいうのに閉じ込められているらしい。

 自分はと言えば、スマートフォンなどサイレントにしてはいるが。

 さて、このような世界で、いったい何処に引き籠もる隙があるというのか。
 ああそうだ。その、LINEというやつ。あれの存在は最低にうっとおしい。スタンプやPAYカードはまあ好い。しかし、あの不細工な公式キャラクター、我が身をモバイル端末に括り付けんとする仕組み、何より線や紐を意味するラインという名前が実に気持ち悪い。固有名詞感を醸し出すイントネーションはその人類に対する支配力を物語るようで口にするのがどうにも躊躇われる。
 線、紐、縄、絆、綱……糸偏はまさに呪縛のシンボルに違いあるまい。
 閑話休題。

 そう、どうにも隙がない。画面から目を離し、他人の気配を遠ざける“ゆとり”を余りにも欠いている。
 一人じゃんけんが出来ない。歌詞カード片手に物思いに耽りながら眺め鼻歌を歌う居心地のよさは何処へ行ったのか。常に誰かがいる。電車では、読書や空想の邪魔になる人々をイヤフォンや帽子で遮断せねばならない一方で、自宅に帰れば一人の世界にも人混みを作り出すディスプレイが待ち構えており、様々な人が「人目を気に」したり、「場所を共有」したり、或いは「何かに接近しようと」しているを見るのだ。寂しげな遠吠えをするための前提条件さえない。
 ありがたいお説教やらしょうもない劣等感やら神経質にすぎる罪の意識やら繁殖行為のさせられ体験にまつわる空虚感や不快感に至るまで、人のいる場所、公共空間、謂わば疑似的な「大広間」へそのような自己意識の放出を促す「繋がり」(まさか綱と繋がりは同語源か?)が、我らの貴重な「籠城の機会」にまで侵食してくる。まるでその情念を放出するという解放感やスピード感に意識が翻弄され、聳え立つ硬いコンクリートの壁にスプレー缶を握りしめてその威厳を粉々にしようという無邪気な企みさえ頓挫させられる。いや、そのような発想そのものを根こそぎ引き抜いて既成的な全ての事物の内部で満足せよと脅迫されているかのようだ。この隙間の無さが我々の孤独を奪う。我々に引き籠もるチャンスなどない。
 自分の内界で空想の漬物にじっくりと味を沁み込ませることが出来ない。味わい深い「秘戯」や「自分との戦い」の最中に、興醒めな「連絡」が介入してくる。ややともすれば、即物の軛を無限に配給するこの「連絡網」の内部にあっては、溜め込むという行為そのものが余す所なく奪われるだろう。愉快な白昼夢に耽る満足感よりも、即席の射精を強いられている。死ぬことの出来ない、安全でカタルシスのない射精ばかりを。
 よく言われることには、「選ぶ前に満足させられる」ということだが、酷い場合には「自由」の夢の前に自我どもが屈服させられている。快楽は我が手中に収まる対象物として相対化されるどころか、全ての脱出口を塞ぐが如く至る所に散りばめられた神となり、この完全世界においては「気の散らない時間」、即ち安らぎが一切存在しない。

 一時間、入浴しながら一人じゃんけんに興じていられるほど、自分は辛抱強くはない。耳から入る音楽にさえのぼせそうで、籠もる熱気がいやに忙しない。
 だからトレーニングをしてみる。ビートに合わせて数字を口にしながら両手をグー・チョキ・パーにする。すると、片手ばかり変形させてしまったり、手と口の作業が同時進行となってしまうので勝敗が解らなかったりする。
 数字のカウントをドイツ語にして難易度を上げてみる。するとzweiとdreiが入れ替わったり、反対に数字を指示する音声に意識が向き過ぎて、手の形状が三すくみのパターンから外れたりする。発声と手指の関節の動きはどうにも連動しているので、例えばnullからzehnまで「指で数える」のなら上手くいくのだけれども、同時にじゃんけんするとなると、両手をランダムにグー・チョキ・パーさせるので精一杯である。
 一度も数字の発音や手の変形の間違いが起こらないようになるまでこれをやる。すると長時間の入浴に耐えられる。謂わば退屈な一人遊びを「修行」化することで、完全な一人の時空間を過ごすことが出来る。
 意識を外界のノイズから保護することにより、ほんの僅かにではあるが孤独を得ることが出来る。

 ここを長らく更新していなかった。何をしていたのか。何もしていない。
 その反面、「ソーシャルな」サイトには反射的に、或いは不意にアクセスしていたし、しかも自分でも面白くもないようなことばかり書いていた。勿論、面白くもないようなことでも好き放題に書いたらいいのだが、そのために消耗し、疲弊していた。
 全てが停滞し、破綻していた。死に向かって歩くことを放棄していたのだ。自らアルコールを脳に作用させ判断力を鈍らせ、飲食物の衝動買いで生活資金と自由時間とを雲散霧消させた。しかも気管の炎症が悪化し、しばしば咳き込んでは絶望と仲良く寝そべっていた。益々歌うことをやめた。無関心・無感動が我が身を覆った。
 即物性に屈服し、自己自身の時間に集中するための自律性を失った。微かな戦闘意欲さえ自暴自棄な破滅願望へと凋落した。
 そして肥満になった。22キロも体重が増えた。筋肉も増えていたが、殆どの服が窮屈になり、ズボンのボタンをかけることも出来なくなった。
 するとどうだ。ソーシャルなサイトに、無為に落ちぶれた自己忘却的姿勢につけ込みたがる奇術師が現れる。どうにでもなれと油断していたら殺られるという、当たり前の事実に気付いた時、怒りが血を滾らせた。
 呼吸器科の医師の許可が出たので、数ヶ月ぶりにギターを持って歌ってみたら声が出た。身体の感覚が戻った。
 運動することを始めた。どうせ金と時間がかかるならと、水泳を再開した。折角なので無酸素運動などで筋肉量を維持することにした。
 サウナに入ったり、マッサージチェアで本を開くなどするため、独立性を危険に晒すことなく、自己の宇宙を修復するのに必要な孤軍奮闘の機会をそういった隙間に見つけることが出来た。

 インターネットがあまりにソーシャルに過ぎる。そう思って、このように無料レンタルサーバーを借りて、不慣れだが憧れもあった日記CGIを設置してみたのだった。が、この日記を含む自サイトの更新は滞った。
 「自己(の/による)管理」とは常に面倒なのだ。すると、うっかり面倒でない方、即ちソーシャルの地獄に食われてしまう。公開とか非公開とか、匿名とか実名とかいうのは、はっきり言ってどうでもよい。
 異常なスピード感(手を伸ばす前に現れる応答の速さ)、溢れる人の気配(密やかさや静寂の機能不全)、矢継ぎ早に口に含まされる物量(限りのない即席の快と賞味の喪失)、それから、あちこちで間借りして細切れになって分散していく自己の断片の発生(流動性というよりかは絶え間ない席替えによって増大していく「座り」の悪さ)。
 掴みどころのない雲が雨を振らせて小さな水たまりとしてそこかしこで実体化する。オンラインゲームを掛け持ちしたり、或いはオフラインのそれでセーブデータを複数作成したかのようにキャラクターが増殖する。
 「いま/ここ」であるはずの座標は不確かで把握し難いものになり、次第に創造主の座から被造物へと転落させられる。
 自己は「座り」を失うのだ。その場所から、時間から、機会から遠ざかる。

 諸氏が引き籠もる能力や機会を刈り取られているとしたら私は悲劇として嘆いてやろう。ソーシャルの妄想の世界の足下に這いつくばり、我らは「接続」なるものについて常々感覚することを余儀なくさせられており、それゆえこの地平はあまりに「切断」のための急所を欠いている。自己観察したところ、切断を失った成れの果て以外の何も見当たらなかった。
 何度でも、己自身に帰る必要がある。一人じゃんけんを練習して、静寂の中で蓄えをする必要がある。自分に必要な戦闘服を鮮明に思い描く必要がある。

 不断の脱社会意志が対抗心を鼓舞している。
 籠城して武装せよ。切断して挙兵せよ。と。
2017年09月01日(金)   No.132 (雑記)

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気取り屋どもが作った、無意味に格式張った、醜い社交にまみれたこの世界。
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2017年09月01日(金)
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