何かにつけて「実に(或いは実は)ポピュラーなのである」と、何か言いたげな、すぐほどけそうな結びになっていない結びを書くような輩の言葉は溜まったものではない。 そういう、自己の中庸性或いは大衆性、つまり標準的市民らしさの告白と並行して、(知的とか文化的とかいった次元での)「スノビズム」を蔑視するというのは、自覚的か無自覚的かは知ったことではないが、実に屈折していて、我等が愛すべき「俗物根性」そのものであり、そのポピュラーならざるポピュラーさが、愛を売るが如く実に人情によくよく浸透し、商売人の手元にも蔓延することは疑いない。 ひょっとするとそういう結びは懺悔なのだろうか。なに、訳を話す必要はない。申し訳はない。罪深さを憂う必要はない。誰も君を罰したりはしない。
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