あの感覚は、「自己視線恐怖」とか「脇見恐怖」とか言うよりも、「視界」という名の自己の領域に、相互影響的な他者の気配が入り込んだ時の居心地の悪さ、或いは何らかの事態発生を予感した不穏や緊迫の“視-覚的意思伝達世-界”に偏った顕れであって、同様の空恐ろしげな異変は、実のところ聴覚やその他の空間的認知の知覚領域、更にはイメージ・思考の世界にも同時発生する場合が多い。 (尤も自分の場合は、目の形などに拘りが限定され眼科を受診し続けるような形の「確信」の色彩が薄いために敏感関係念慮の拡大が感知機能全般に対して起こっているのかも知れないけれども。)
「自我漏洩」とも言うが、そこにはその形容とは正反対の性質さえも見出すことが出来るように思う。「見るのを見られるのが怖い」という物言いを使うまでもなく。
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